世のあやせ~五輪塔~
五輪塔(ごりんとう)は平安時代後期から造られ始めた石造の供養塔です。中世では一般的な石塔として全国各地で見られます。年号が刻まれた最古の五輪塔は、岩手県平泉町にある中尊寺境内の仁安(にんあん)4年(1169年)銘のものです。鎌倉時代の中期から末期にかけて造立の最盛期を迎え、大きく迫力のある五輪塔が増えていきますが、南北朝時代以降、特に室町時代に入ると庶民の間で流行し、小型・簡素化が進んでいきました。素朴ながら長い時間人々の近くにあった石造物だといえます。
■なんで五輪塔って呼ばれるの?
空輪、風輪、火輪、水輪、地輪といわれる5つの石を積み上げて造ることから五輪塔と呼ばれます。これら5つの要素が世界をつくっているという仏教の世界観を表現したものです。方形、円形、三角形、半円形、宝珠形にかたどった石を各要素に見立てており、5つそろえて初めて一つの意義を持ちます。他に空輪と風輪を一石で造る、空風輪(くうふうりん)もあります。
■綾瀬の五輪塔
本蓼川を除く市内各地にあり、合計195個が確認されています。全てバラバラになっており、残念ながら当初の姿を残すものはありませんが、嘉暦(かりゃく)4年(1329年)の年号が確認できる地輪が1点あり、鎌倉時代末期には市内で造立されていたことが分かります。他にも、鎌倉時代末期から南北朝時代前期に造立された古東海道の空輪や小園地蔵堂脇の水輪、個人墓地の空風輪などがありますが、大半は室町時代に造立されたものです。
■石材こぼれ話
市内の五輪塔は大半が西相模産の安山岩を使用していますが、びわみ堂遺跡(落合北)から出土した五輪塔は9基中6基が凝灰岩(ぎょうかいがん)製でした。同遺跡は、流通経路や仕入れ先との関係が、他の五輪塔と異なる可能性があります。石材の産地から、9月15日号で紹介した板碑よりも身近な地域内で流通していたことが分かります。
■実は身近に五輪塔
現代は、五輪塔自体の造立はほとんどなくなりましたが、墓石の後ろに立てる木製の卒塔婆(そとば)に名残を見ることができます。板の切り込みは、よく見ると五輪塔の形をしているのです。
綾瀬市は、周辺市町村の中でも中世石造物が多く残っている市の一つです。中世の綾瀬は、思っていた以上ににぎわいがある場所だったのかもしれません。
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