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市内のちょっと珍しい文化財を紹介(4)

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神奈川県綾瀬市

中世の綾瀬~びわみ堂遺跡の板碑~

びわみ堂遺跡は、比留川西岸の台地の縁辺部に位置し、平成4年と6年の発掘調査で中世の石造物が確認された遺跡です。板碑(いたび)・五輪塔の一部、集石、中世陶器の破片が出土し、14世紀初頭から15世紀中ごろまで継続した、中世の墓域であることが分かりました。
調査以前から、現在大法寺にある淡島明神堂が元々建てられていた場所だったという言い伝えや、日蓮上人が鎌倉から佐渡へ流罪になる際に、この地にあったお堂に立ち寄り、びわみ堂と名付けたという伝承がありました。
板碑は、13世紀前半から16世紀ごろまで造られた石造の供養塔です。深緑色の平たい板状で、頭部を三角形にし、頭部の下には二条線を刻み、基部は地面に刺し込みやすいように尖らせてあります。碑面には、梵字(ぼんじ)や蓮座(れんざ)、年号などが刻まれています。
多くは関東地方に集中しており、鎌倉武士の信仰と強く関連したものだといわれています。鎌倉時代には地方豪族や僧侶によって建てられていましたが、南北朝時代以降は庶民による造立も盛んになりました。
同遺跡からは30基の板碑が見つかっています。年号が確認できるものが8基あり、最古のものは、嘉元3年(1305年)銘があります。銘が刻まれている中で最も新しいものは、永享5年(1433年)とあることから、板碑造立期間は約130年間だったと分かります。
市内では同遺跡以外からも板碑は確認され、全て埼玉県秩父地域周辺産の緑泥片岩(りょくでいへんがん)を使った「武蔵型」に分類されます。

市内の板碑は室町時代中期ごろに減少し、1530年代になると周辺地域でも武蔵型の板碑は消滅します。これは、支配者層の変化により、原材料の緑泥片岩が手に入らなくなったことが要因ではないかと考えられています。
同遺跡やその他中世関連遺跡の位置は、生涯学習課で配布している「あやせウォークガイド」に掲載しています。
同遺跡出土の板碑は市役所3階渡り廊下文化財展示コーナーで展示しています。ぜひ、確認してみてください。

問合せ:生涯学習課
【電話】70・5637

       

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