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奈良三彩(さんさい)~後編~
■綾瀬の奈良三彩
県内では、現在8例ほどの奈良三彩が確認されており、内3点が市内で出土しています。
早川城山(じょうやま)遺跡で出土した奈良三彩は、ふたの一部のみの残存でしたが、3色の釉薬(ゆうやく)が確認できます。9世紀前半の住居跡から出土したことから、屋内で使われていたものと考えられます。
宮久保遺跡からは、胴部の破片が2点出土しました。それぞれ、溝(8世紀ごろの層)と旧目久尻川内(9世紀ごろの層)の2地点から見つかりました。使用時期や用途は不明ですが、水に関する場所であることから、祭祀(さいし)関連の遺物である可能性が指摘できます。奈良三彩の出土からは、両遺跡の関係性や利用方法を考えることができます。
■綾瀬の古代
奈良三彩が出土していることは、古代の綾瀬を考えるうえでとても重要です。宮久保遺跡は、奈良・平安時代に高座郡の公的機関があった場所だと指摘されていることも踏まえると、古代の綾瀬地域は、近畿の中央政権と関わりのある地域だったと考えられるのです。
奈良三彩の破片はとても小さいものですが、破片一つから本地域の歴史を紐(ひも)解くヒントを得ることができます。早川城山遺跡から出土した「奈良三彩小壺(つぼ)の蓋(ふた)」を市役所3階文化財展示コーナーで展示していますので、ぜひご覧ください。
※前編は12月1日号を見てください
問合せ:生涯学習課
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