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市内の遺跡を知ろう!

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神奈川県綾瀬市

~五社神社遺跡と綾瀬市No.36遺跡~その(1)

■五社神社遺跡とは?
五社神社を中心として、目久尻川西岸の台地上に広がる遺跡です。市道518号線の道路整備に伴い、昭和63年に発掘調査が行われました。発掘調査では、縄文時代から江戸時代にかけての、建物や溝(みぞ)などの遺構(いこう)や、常滑窯(とこなめよう)の焼き物類や渡来銭(とらいせん)などの遺物が検出されました。
発見された遺跡について、各時代の代表的なものを紹介します。

◇縄文時代
縄文時代早期の落とし穴が1基発見され、高台という地形を生かして、狩りをしていたことが分かりました。また、後期の土器片が多数検出されており、集落があったと考えられます。

◇古代(奈良・平安時代)
10世紀ごろの溝や土師器(はじき)・須恵器(すえき)片が出土しました。同遺跡がある台地の下には、同時期の集落である宮久保遺跡(現:綾瀬西高校)があり、台地の上と下で人々の関わりがあったと考えられます。

◇中世(鎌倉・室町時代)
大溝(おおみぞ)、溝、地下式坑(ちかしきこう)が発見されています。“大溝”は、敷地を区画するために掘られた溝で、中からかわらけなどがばらばらに割られた状態で検出されました。大溝は、13世紀後半から14世紀前半に使われなくなりました。“溝”は3条見つかり、そのうちの1条である“5号溝”からは渡来銭が出土しました。“地下式坑”は竪穴と地下室が一体になった遺構です。人骨などは出土していませんが、14世紀ごろに墓壙(ぼこう)として使われたと考えられます。

■綾瀬市No.36遺跡とは?
綾瀬市No.36遺跡は、五社神社境内にある遺跡で、昭和59年に渡来銭が出土したことで発見されました。渡来銭に記された年号から、室町時代ごろに埋められたと考えられます。

発掘調査の結果何が分かったのか?広報あやせ8月15日号に続きます。

問合せ:生涯学習課
【電話】70・5637

       

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