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市内の遺跡を知ろう!

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神奈川県綾瀬市

~五社神社遺跡と綾瀬市No.36遺跡~その(2)

8月1日号で五社神社遺跡と綾瀬市No.36遺跡について紹介しました。今回はその発掘調査結果から、綾瀬の歴史をひもときます。

■発掘調査から何が分かったのか?
五社神社遺跡の調査から、二つのことが分かりました。
一つ目は、中世における、現在の五社神社周辺地域の使い方です。大溝(おおみぞ)は屋敷や神社仏閣の周りに造られるため、13世紀ごろには現在の五社神社の位置に神社などの建物があったといえます。また、大溝が使われなくなった時期は、平安時代末から鎌倉時代に本地域を管理していた、渋谷氏一族が薩摩国(さつまのくに)へ下向した時期です。つまり、同遺跡は、同一族に関する記録が残された「入来院家文書(いりきいんけもんじょ)」にある、同一族のよりどころだった「五所宮(ごしょぐう)」に関する遺構と考えられるのです。
二つ目は、両遺跡の関連性です。両遺跡で出土した渡来銭(とらいせん)は同じ室町時代のもので、綾瀬市No.36遺跡から多量の銭が出土したことから、五社神社遺跡の銭は、綾瀬市No.36遺跡から流出したものだと考えられます。使っていたお金を地中に埋めることはよくあり、信仰のために行う埋納銭や、災害に備える備蓄銭などといわれています。五社神社遺跡の銭は神社の境内からの出土であることから、信仰による埋納銭と考えられます。
両遺跡は、見晴らしが良い高台にあります。縄文時代には狩りや居住の場、古代から中世にかけては信仰の地として長きにわたり人々が集う場所だったことが分かります。

問合せ:生涯学習課
【電話】70・5637

       

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