国指定史跡・神崎遺跡
■綾瀬市と神崎遺跡
現在市内には、埋蔵文化財包蔵地(ほうぞうち)が155カ所あります。同地は、土器が見つかったり、発掘調査により遺跡が発見されたりした場所のことです。これらの場所には、重要な痕跡が眠っている可能性があります。そんな遺跡の中で、市内で唯一国の指定史跡となっているのが神崎遺跡です。同遺跡は市内だけでなく、国全体の歴史を探るうえでも重要だと評価されています。
■神崎遺跡―移住者のムラ―
神崎遺跡は、東海地方(現在の静岡県と愛知県の県境付近)から引っ越してきた人々が造ったムラだと考えられています。同遺跡から出土した土器を調べると、東海地方に多い文様(櫛描文(くしがきもん))が多用されていることが分かります。また、住居の炉の位置も、東海地方の住居と同じ位置に造られることが多く、集落全体に東海地方の習慣が根付いていたことがうかがえます。
また、土器の変化が少ないことから船を使って吉岡まで移動してきたと考えられ、相模湾から目久尻川をさかのぼってきた弥生人の姿を想像することができます。直線で約200kmの距離を集団で引っ越してきたという事実は、稲作中心の定住生活が主だったとされている弥生時代後期の人々の暮らしを考えるうえで大きな発見となりました。弥生時代の人々は、我々が考えているよりも移動技術や移動先を探す情報収集能力が高かったのではないでしょうか。
■神崎遺跡の最近の調査成果
令和元年から始めた、土器片に残る穴を調べる圧痕調査では、植物の痕跡が見つかりました。中には、米と考えられる痕も発見され、ムラの中で米を食べていた可能性が高くなりました。これまで田んぼの跡が見つかっていなかったため、この発見は、同遺跡に住んでいた人々の生活や食べ物を考えるうえでとても重要な発見となりました。
■神崎遺跡の今後
同遺跡では、墓域(ぼいき)が見つかっていません。集落があるため、墓もあると考えられるので、今後発掘調査が行われた際に新たな発見があるかもしれません。また、化学分析など調査手法も増え、食べていたものや使っていた道具などが分かるようになってきています。これらの技術により、まだ見ぬ神崎遺跡の事実が明らかになっていくと思われます。
■神崎遺跡が全国版弥生の御朱印巡りに加入
神崎遺跡資料館は、令和5年10月から、全国版弥生の御朱印巡りに加わり、現在、全国各地の遺跡のパンフレットなどの特別展示をしています。加茂岩倉遺跡や板付遺跡など全国津々浦々の弥生時代を代表する遺跡を知ることができます。
ぜひご来館ください。
問合せ:生涯学習課
【電話】70・5637