綾瀬市指定文化財
木造一塔両尊像(もくぞういっとうりょうそんぞう)(釈迦(しゃか)・多宝如来坐像(たほうにょらいざぞう))
■綾瀬市域の中世の仏像
綾瀬市内に伝わる、中世の仏像5体のうち2体が市の指定文化財に指定されています。
1体は広報あやせ6年3月15日号で紹介した、小園地蔵堂の地蔵菩薩(ぼさつ)坐像で、もう1体は大法寺(深谷)の一塔両尊像です。両像は、市内に現存する最古級の仏像として、綾瀬の中世を今に伝えており、大変貴重な資料です。
今回は、大法寺の一塔両尊像(釈迦・多宝如来坐像)を紹介します。
■綾瀬市指定文化財・木造一塔両尊像(釈迦・多宝如来坐像)
一塔両尊像(釈迦・多宝如来坐像)は、大法寺で祭られている仏像です。一塔両尊像とは、中央に「南無妙法蓮華経」を表す題目塔(だいもくとう)(宝塔(ほうとう))を立て、その左右に釈迦如来と多宝如来の両尊を配置するもので、仏教の一宗派である日蓮宗で見られる仏像の形式です。
台座の裏には墨書(ぼくしょ)で「相州高座郡深谷村(そうしゅうこうざぐんふかやむら)、施主(削られていて詳細は不明)、法鏡山(ほうきょうさん)大法寺、五代(ごだい)日華代(にっかだい)、永正(えいしょう)十三丁(てい)年丑(ちゅう)七月三日、佛師(ぶっし)三橋甚兵衛(みつはしじんべえ)作」と書かれています。この文言から、同像が永正13年(1516年)に鎌倉の仏師である三橋家の人物によって造られたことが分かります。令和元年の調査の結果、紀年銘のある仏像では市内最古のものであることが判明しました。
さらに、墨書からは、室町時代、深谷村に大法寺があったこと、大法寺が永正13年より前から存在していたことが分かります。深谷村や大法寺の歴史を証明する上でも重要な仏像です。破損している箇所も見受けられますが、慎重に組み直し、文化財的な価値を損ねることなく修復されており、令和元年に市の指定文化財に指定されました。
同像が造られてから今に至るまで、大法寺は幾度も火災の被害に遭っています。それでも同像が残っているのは、都度お寺の関係者や地域の人々が守ってきたからだと考えられ、同像が重要な仏像だったことが分かります。
大法寺は応永年間(おうえいねんかん)に日叡上人(にちえいしょうにん)によって開かれた寺だといわれています。境内には落合びわみ堂から移築した、日蓮上人(にちれんしょうにん)が立ち寄ったと伝えられている淡島明神堂(あわしまみょうじんどう)があり、綾瀬の中世を語る上で重要な場所です。
中世武士の時代の綾瀬に思いをはせ、現地を巡ってみてはいかがでしょうか。
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